美守小学校の誕生

美守小学校は昭和26年1月10日に、美守村立錦小学校と、美守村立神田小学校が統合して現在地に誕生しました。


美守(ひだもり)の地名について


 美守の地名を調べてみると、その歴史は古く、古代にさかのぼります。

7世紀末から「頸城郡」の中の十郷のひとつとして「夷守郷(ひなもりごう)」の名が記されています。 「夷守郷」のおこりは、「えぞを監視する郷」からきたものとされています。夷守郷の本拠地が現在の当校所在地の本郷集落であると推定されています。

 すなわち「美守」はもともと「夷守」で、上杉謙信のころには「夷守郷」と記していて、これを「美守郷(ひだもりごう)」と書くようになったのは江戸時代からのこととされています。美守郷は頸城最大の郷で、保倉川流域全体をさします。

 東大寺正倉院文書に「越後 くびき夷守郷・・・」と記されていて、この地より調布(税金の代わりに収める布のこと)が献納されたことが残されています。この布は絹のものもありますが、多くは麻布が常用されていました。当学区に桑曽根川・錦・広田などの布目の地名が残っているので、織物に関係したことが考えられます。

地名も本郷を中心にして、夷守郷が栄えたことを思わせるものがあります。